2011/01/01 (Sat) はじめに。
2009/11/23 (Mon) 遙か4・布都彦ED感想
2009/11/20 (Fri) 山崎雄介さん

◎ただいま大絶賛攻略中

・遙かなる時空の中で4
・薄桜鬼 随想録
・DISSIDIA FINAL FANTASY
・ときめきメモリアル Girl's Side 2nd Season

-----

「Sinful Sanctuary」では、毎日の愚痴、日常の他愛もない話、ゲームの話、少し腐女子寄りの話など、ありのままの紫苑を書き残しています。ブログが本来どういうものかということではなく、私にとってのブログとはどういうものか、その原点に改めて立ち戻り、自分の書きたいことを書いていく場所にしています。

私は聖人君子ではないし、聖人君子を演じることもできません。キレイゴトだけを書き残していくのは、少なくとも私にとっては、自分で自分を欺いているのと同じことです。嬉しかったこと、悲しかったこと、楽しかったこと、悔しかったこと、その他、私の中に生まれた感情を、そのまま残していくのが、この「Sinful Sanctuary」です。

内容に関するご意見・お問合せ等は、メールフォームからお願いします。ただし、価値観の違いによる異論・反論は受け付けません。内容を誤解・曲解して暴言を吐くようなこともお止めください。ここはあくまでも私が私の感情を吐き出す場所であり、他人に対して意見を求めている場所ではないことを、どうかご理解ください。

カラコレシリーズ「薄桜鬼」で、以下の通り交換してくださる方を探しています。

探しています:沖田、風間、沖田羅刹ver.
お譲りします:平助、新八(内袋未開封)

※送料(実費)+定価での買取、複数個も歓迎します。状態が悪くなければ内袋開封済でも構いません。

受け渡し方法等は別途ご相談させてください。

無期限でお待ちしておりますので、お気軽にメールフォームからご連絡ください。よろしくお願いいたします。


さすが青龍、と思わせてくれるストーリーだった。現代から時空を越えた世界へ飛ばされ、神子として祀り上げられ、戦に手を染めてゆく千尋が、豊葦原の王族として自覚を持ち、本当の意味で前向きに治世へ取り組むようになる。その過程が、これまでの攻略キャラの中では一番丁寧に描かれていたと思う。

政略結婚イベント。普通の女子高生として生活していた千尋にとって、まず結婚なんて考えたこともなかっただろうし、仮にあったとしても、それが政略結婚だとは予想もしなかったと思う。アシュヴィンに対して自分がどういう気持ちを持っているか分からず、アシュヴィンの自分に対する気持ちも読めない、でも結婚しなければならない、という千尋の戸惑いが、とてもリアルだった。それは、これまで龍神の神子として軍を率いる過程でずっと似たような気持ちを抱えてきた千尋の心情を、これまでとは違う形で再提示しているようにも思えた。千尋が妃殿下として「覚醒」していく過程は、とても説得力があって、感動的だった。

結婚後、アシュヴィンが出かけた西方で小競り合いがあったと聞き、不安に駆られる千尋。ここでは千尋の不安を察して一緒に探しに行こうと言う遠夜に感動した。外に出ることへの不安を覗かせる回答をした時に遠夜が、千尋は自分が守る、という内容の発言をする。千尋が妃殿下という立場になっても、遠夜にとって千尋が吾妹であることには変わりがないのだな、と思ったら、なんだか切なくなった。遠夜の千尋に対する思いは、文字通り、無償の愛のような気がする。

西方から戻ったアシュヴィンと千尋が口論になる場面。個人的には、「アシュヴィンの馬鹿!」と言って走り去る千尋と、それを茫然と見送るアシュヴィン、な会話が好き。これまで千尋は何度もアシュヴィンと衝突はしてきてるけど、ああいう形で感情を表に出したのは、ほとんど初めてに近い。アシュヴィンもそれでようやく、千尋の怒りの理由に気付く、という流れがすごく良い。扉越しに背中合わせで会話した後に、ふたりが実際に顔を合わせる場面も、距離が近付いた、ということを明確に表してたと思う。

地味に感動したのが、□ボタンで言葉の意味を見られる機能で、「皇」を見た時。最初は確か、アシュヴィンの父である皇の説明だった気がするんだけど、いつの間にかアシュヴィンの説明に変わってた。あと、リブが千尋を呼ぶ時に「姫様」と呼んでたのが「妃殿下」になってたり、シャニが「義姉様」って千尋を呼んでたりしたのも、地味に嬉しかったなあ。

さのっち@薄桜鬼では嫌悪の対象でしかなかった結婚ネタだけど、アシュヴィンはすんなり受け入れられた。なんでだろう、と考えて、アシュヴィンが所帯じみてないこと、あくまでも最初は政略結婚だったこと、が、まず思い付いた。ルートに入ってから描かれるのは、アシュヴィンと千尋がお互いを深く信頼し、支え合い、お互いの存在を糧にしながら、王として、また妃として成熟していく、その成長の過程でしかない。すでに結婚という形を取っているふたりだけど、その関係は同志に近かった。

ああ、アシュヴィンに関しては細かいネタで書きたいことがありすぎる。終章はエンディングを見ることを優先して選択肢は全部選んでないから、またリプレイして感想を書いていくことにしよう。

アシュヴィンルートに入れた!

というかアシュヴィンの攻略を改めて見直して分かったこと。アシュヴィンへの分岐条件を、ナーサティヤの条件と間違えてた。アシュヴィンは「孤高の書・一章で黒麒麟を10巡までに倒すこと」でいいのに、ナーサティヤの条件である、「人物の書を4人以上開き、孤高の書・三章でアシュヴィン&ナーサティヤを4巡までに倒すこと」と間違えてた。

さすがにキャラが相当育ってて(那岐はほとんどの特技がLv5)、黒麒麟もかなり楽に倒せたんだけど、これもしかして、布都彦や風早ノーマルやらなくても、先にアシュヴィン攻略できたんじゃないだろうか……まあとりあえず、無事にルートには入れたからそれで良しとするけど。

アシュヴィンの天秤は、他ルートでも傾けてたから、目新しいイベントは殆どない状態。条件が揃わないと発生しないサブイベントくらいかな。ただ、選んでない選択肢(で天秤が成功する選択肢)はまだ残ってるから、それらを選びながら進めることにする。

それにしても、狭井君が鬱陶しくて仕方ないんだけど、どうすればいいですか。アシュヴィンルートに限らずだけど、本当に鬱陶しくて、心底苦手。言うことなすこといちいち嫌味っぽいし、腹黒いし、頭固いし、融通利かないし、視野が狭いし……嫌われるキャラとして作ったなら大成功だと思うけど、出てくるたびにイライラさせらるから、ちょっとなあ、という感じ。

布都彦ルート完了。なんだろう、この違和感。布都彦がどうにも不思議ちゃんに見えて仕方ない。

布都彦は従者という立場で主に恋心を抱くことに苦悩し、ある一時点からはその恋心に素直に行動しようと決めるわけだけど、最初から最後まで千尋は、布都彦を従者としてしか見ていない気がする。

布都彦ルートは、身分差のある恋、がテーマではあるんだろうけど、だったら千尋の方も、神子としての務め、中つ国の王としての責務と、布都彦への恋心との間で苦悩する、という描写があってしかるべき。実際には神子は、自分の中の信義と、務め・信義との間でしか苦悩してない。

例えばサザキルートの時は、サザキが千尋を想い、千尋もサザキを想う、という明確な描写があった。主君と臣下という身分、人間と日向の一族という出自の違いがあった。だから、サザキルートにはあまり違和感はなかった。

なんだか消化不良な感が否めないルートだった。そういえば黒龍がなんで現れたのかも説明されないままだったし、皇もありえないくらいあっけなくお亡くなりになってたし。

とりあえず次は、もう一度アシュヴィンルートに入れるかどうか挑戦してみようかな。それが無理そうだったら忍人を先に片付けよう。エンディング内容を知ってるから、進めるのが憂鬱でたまらないけど。まあこれもある意味、仕事の一環だから、頑張るしかないな。

攻略その他での前情報から受けていた印象とかなり違っていた。風早は柊同様、終章までルート分岐しないけど、ルートに入ったほうが魅力的なキャラだった気がする。

スチルは、さすが攻略対象キャラのメインだけあって、どれも綺麗だったし、甘すぎずあっさりすぎず、絶妙なバランスが保たれているものが多かった。

ノーマルEDは消化不良な感があるかなと思ったけど、そうでもない。というかこれ、真EDがあるって知らなかったら、普通にこれだけで風早EDって言われても納得できる完成度。あちこちに謎は放置されたままだけど、それは那岐や遠夜、サザキや柊と変わらないレベルだし。

まあでも好きになったかと言われると、好きでも嫌いでもないかなあ。声はいいんだけど、特に好きになれる要素はなく、かと言って嫌うほどの要因もない。ただ、一応真EDだけは見ておきたいかなあという気にはさせられた。

そんなわけで、次は布都彦ルートを片付けよう。いまいちレベル的に不安があるから、布都彦ルートでレベルを上げてアシュヴィンに臨む作戦。

津田さん狙いで見に行った舞台「マグダラなマリア」の感想・詳細版。セリフは抜き書きではなく、ニュアンスです。

◎会場や役者さんなど。

・当日券は抽選、当選番号は001、前から8列目の上手側。
上手の端に近い席。少し見辛い部分はあったけど、かなり前の方だったので、オペラグラスがなくてもよく見えた。でもやっぱり観劇用の眼鏡くらいは持っていくべきだったなあ。顔の表情の演技が見たい、と思った場面がいくつかあったので。

・湯澤さんオンステージ。歌が上手すぎる。カーテンコールでのお辞儀が優雅。
パンフレットも、舞台装置も、ストーリーも、演出も、すべてが湯澤さんワールドだった。ステージ上に出ている時間で言うと、マリア役の湯澤さんよりグレイス役の津田さんの方が長かったと思うんだけど、マリアが登場するだけで一気にステージが濃くなるというか。存在感はもちろんあるんだけど、それだけではない、不思議な空気感を持っている役者さんだよなー、と、見るたびに思う。

・パンフレットの津田さんがとにかく美しい。直立した時の指先に萌えた。
パンフレットの津田さんが美しすぎる、という話を聞いてたけど、本当にその通り。普段は、津田さんが特に美人だとか女性らしい顔立ちをしているとかは思わないんだけど(むしろ男らしい顔立ち?)。やっぱり化粧で化けてるってことなんだろうか。グレイスの服はボリュームのある白のワンピースで、靴が見えないくらいのロングスカート。直立して体の前で手を組んだ時の、指先が優雅だった。ああいう細かいところまで女性らしさを演出できるのはすごいな。もちろん、男性が女性を演じているがゆえの滑稽さを出すような場面では、男っぽい空気を身にまとってて。津田さんの声の演技も好きだけど、やっぱり津田さんは、舞台上で全身で演じた方が映える気がする。

・高木家の双子ちゃんがキュート、その割に歌ったり踊ったりすると完全に男なギャップ。
津田さんと同じくパンフレットの写真が綺麗だったのが、高木家の双子ちゃん、万平くんと心平くん。服もウィッグも似合ってて、写真だけ見ると本当に女の子みたいなのに、ステージ上で歌ったり踊ったりすると、完全に男なのが面白かった。演じてないのか、演じててあれなのかは分からないけど、そのギャップがいい味を出していたと思う。

・鯨ちゃんの和服に萌えた。所作もさすが。役どころはトレジャー・ボックスの時に似ていた。
鯨ちゃんは和服姿!さすが日本舞踊をやっているだけあるよなあ、と思わせてくれる所作。ディアミュの時も日舞に近い踊りを披露してたと思うけど、その時より更に綺麗になってた気がする。役どころとしては、*pnish*の舞台「トレジャーボックス」に客演した時に近かった。ああいう最後で豹変するような役、上手だなあ。

・ルイルイは相変わらずフリーダム。演技をしないことが演技なのかもしれない。
日替わりゲストはルイルイだった。だから当日券狙いが多かったんだなー、という感じ。でも演技は相変わらずフリーダムな感じだった。そもそも演技をしてないのか、ああいう演技なのか、どっちなんだろう。もしあれが演技なのだとしたら、もう少し舞台役者として演技を磨くことを考えた方がいいんじゃないのかな。

・湯澤さん&津田さんのツーショットに萌えた。
湯澤さん&津田さん、というか、マリアとグレイスのツーショットが素敵だった。声優としても舞台役者としても、さまざまな場で共演してきたであろうふたりだからこそ出せる、落ち着いて見ていられる空気というのかな。さりげないアイコンタクトだったり、セリフの交錯、そういうものが本当に絶妙で、お互いがお互いを(少なくとも演技面では)信頼しているんだろうな、と感じられる場面が多かった。

◎印象に残ったセリフ。

・私には目標がある。(マリア)
劇中で何度も出てきたマリアのセリフ。自分の理想とするお店を作るためにお金を貯めなければならない、というマリア。マリアにとってお店を出すということは夢ではなく、あくまでも実現すべき目標なのだということ。女優として世界的に認められ、名声と栄誉と得ているはずのマリアが、その輝かしい世界ではない場で達成したい目標を持っている、ということに少し驚いた。前作を見ていないから分からないけど、私の中でマリアは、世界的に認められた女優であることを鼻にかけている、という印象があった。むしろ、女優として世界的に認められることが目標で、それを達成していて、その上にあぐらをかいているんじゃないか、と。でも実際は違っていた。マリアにとっては、女優であることも所詮、目標を達成するための手段でしかないのかもしれない。

・生きることは辛いこと。楽しいことを作り出して帳尻を合わせなければ割に合わない。(マリア)
生きることそのものを謳歌しているように見えるマリアから、こういう言葉が出てきたことがショックだった。確かに生きることは楽しいことばかりではない。この世に生を受けた後は、ひたすら死ぬ瞬間に向かって進んでいるわけだし、納得できないこと、悔しいこと、腹立たしいこと、いろいろなことがある。楽あれば苦あり、あるいは苦あれば楽あり、という言葉があるけれど、それはたぶん、そういうことなんだと思う。苦しいことと楽しいことがあるのではなくて、最初にまず苦しいことがあって、そのバランスを取るために楽しいことを探す、ということなんだと思う。最初から楽しいことがあるわけではない、探して、見付けて、味わって、初めてそれを楽しいと思える。マリアにとって、演じるということは、生きることそのものだ。ただ、彼女が舞台上で何かの役を演じることで、誰かが楽しい気分になり、誰かが幸せをかみ締める。苦しさの中に見出す楽しさ、絶望の中に見出す希望、マイナスの中にひそむプラス。それらを女優として提供しているマリアにとって、楽しいことは何なんだろう、と考えずにはいられなかった。マリアはマリアでいることを楽しんでいるのだろうか。

・あなたは私の夢。(グレイス)
オーディションでマリアと出会い、マリアに敗れ、マリアに心酔したグレイスは、高級娼婦へと転身する一方で、マリアと行動を共にするようになる。女優になる夢を諦めたグレイスは、その夢をマリアに託した。あなたは私の夢、という言葉は、マリアの「私には目標がある」という言葉と対になっていると思う。それはマリアとグレイスの生き方の違いにも似ている。マリアには目標があり、グレイスには夢がある。マリアが女優として輝くこと、が、グレイスにとっての夢だとしたら、それが現実のものになった時、グレイスは何を思うんだろう、と考えてしまう。逆にマリアは、目的を達成する手段として女優という職業を選んでいる以上、そこに夢は抱いていないだろう。ここに、マリアとグレイスの微妙なすれ違いを感じる。同じ方向を見てはいるけれど、実際に目に映る景色には大きな違いがあり、ただ、進んでいく過程では、共に歩んでいくことができるふたり。友情とも同志とも違う、奇妙なふたりの絆を垣間見た気がした。

・人は二度死ぬ。一度目は肉体が死んだ時。二度目は人の記憶から忘れられた時。あなたが私を覚えている限り、私は死なない。(マリア)
黄泉の国を後にし、現世に戻ろうとする時、マリアがグレイスにかけた言葉。今回の公演のサブタイトルにもある、「マリアさんは二度くらい死ぬ」の意味が、ここで明らかになった。そして同時に、マリアの夢も。マリアは、一度目の死を恐れてはいない。肉体的な死は、誰にも等しく訪れるものだから。もちろん目標を達成せずに死ぬことは、本望ではないはずだけど。マリアが恐れるのは、二度目の死。人々の記憶から忘れ去られ、本当の意味でマリア・マグダレーナが存在しなくなること。そして同時に、そういう意味で死なないことを、マリアは夢見ているのではないだろうか。自分が肉体的に死んだ後も、マリア・マグダレーナという存在が誰かの中で生き続けること、それがマリアの夢なのではないか、と思う。ここまで考えて、マリアにとって女優であることは、単に「店を出す」という目標を達成する手段だけでなく、「死なない」という夢を実現するための方法でもあるのだと、ようやく理解した。そしてマリアにとってもグレイスは、夢なのだということも分かった。グレイスにとってマリアは夢、マリアにとってもグレイスは夢。性格も価値観も大きく違うマリアとグレイスが、共に歩んでいる理由が分かった気がした。

◎全体の感想

久しぶりに見た舞台だったけど、見に行って正解だった。劇場が適度に小さいのも臨場感があってよかったし。これをきっかけに、また月一回くらいは、舞台を見に行けたらいいなあと思った。

あなたの視線を正面から受け止めたら
何も言えなくなってしまった

まっすぐに私を射竦めるあなたの視線に
何も言えなくなってしまった

あなたの瞳が言葉は要らないのだと告げていて
ただ涙を流すことしかできなかった

言葉は要らないのだと告げるあなたの瞳に
ただ涙を流すことしかできなかった

私はあなたの支えになれていますか?
私はあなたを支えることができていますか?

あなたをただひたすらに想い寄り慕う
ただひたむきにあなたを想い付き従う

私はあなたに何を与えられていますか?
私はあなたに何か与えられていますか?

Twitterでフォローさせてもらってる方が、湯澤さんの「マグダラなマリア」を見に行っているとのこと。それを聞いて、そういえば最近久しく舞台見てないなー、山崎さんは今何をしてるんだろうなー、と思って、調べてみた。

で、驚愕。来年の大河「龍馬伝」に出るらしい。土佐勤王党の、島村衛吉の役で、一話から。いつの間にそんな話になってたんだ。全然知らなかったよ。福山くんの龍馬にはまるで興味ないけど、山崎さんは見たいから、来年の大河は見ざるを得ない。

ブログも定期的に更新されてるみたい。虚構の劇団の次回公演、見に行きたいなあ。年明けにも舞台やるみたいだし、ブログにリンクして今回こそはちゃんとチェックしようっと。

ネットで衝動買いした、薄桜鬼の「回奏録 上」が届いた。

キャラソン、ではなく、キャラクターイメージ曲+モノローグ。どんな感じだろうと思ってたけど、想像してたよりはよかった。歌が上手ではない声優さんも多いし、たいていは歌うとキャラボイスから離れてしまうし。イメージ曲に載せてキャラが独り語りする、というスタイルは、特に薄桜鬼の世界観には合っている気がした。

イメージ曲に載せて語られるモノローグは、正直なところ、かなり微妙。本編シナリオを書いている人ではないのか、どことなく同人くささが漂っているのが残念だった。言葉が直接的すぎて、キャラのイメージから離れている部分が多い。語りである以上は、文語より口語の方が自然なはずなのに、無理やり文章にしている感じも否めない。

またモノローグを載せることを前提としたイメージ曲であるはずなのに、明らかに歌詞を載せて歌われるような曲になっているのも違和感があった。冒頭だけが語りで以降は歌っている総司はいいとして、特に土方さんの曲は、ギターの主旋律が自己主張しすぎ。あとからキャラソンとして焼き直すのではないかと、邪推したくなる感じだった。

以下キャラ別の感想。

土方さん。イメージ曲+モノローグは、少し語りすぎ。言葉より行動で示す人だと思ってたのに、なんだか幻滅。モノローグだから語らなければいけないのは分かるけど、そこまで言葉で説明してしまったら、あなたが嫌悪している伊東さんと何も変わらないじゃないの、とツッコミを入れたくなった。曲なしモノローグの方は、本編のエンディング、あるいは随想録のエンディングを踏まえている感じでよかった。土方さんのさりげない優しさと、主人公にだけはわずかに甘えを見せるところが、うまく表現されてたと思う。

総司。冒頭だけモノローグ、以降は普通にキャラソン。総司が歌っている、というのは前情報で聞いて知ってたけど、まさか本当に総司が歌っているとは思わなかった。分かるかなあ、このニュアンス。森久保くんが歌ってるんじゃなくて、総司が歌ってるんだよ。しかも普通に上手だし。歌詞の内容は、さっきも書いたけど、言葉が直接的すぎ。「羅刹」とか使うのはどうかと思う。旋律も少し残念な感じ。ネオロマレベルを求めるのは酷かもしれないけど、ちゃんと耳に残る旋律を作ってほしかったな。曲なしモノローグの方は、すごく総司らしい感じでよかった。主人公の目に映るものすべてに自分の影を遺そうとする総司が、いじらしくて切なくて、泣きそうになった。

ちーさま。イメージ曲+モノローグでは、彼が鬼の一族の頭領であるという側面をピックアップしていて、斬新だなと思った。あくまでも鬼という立場から人間を冷ややかに見下している姿は、新選組に宿る「武士」の魂を最終的に認めたちーさまとは、少し隔たりがあって、本来の鬼の姿を垣間見た気がした。普段怒りをあまり表に出さないちーさまが、珍しく激昂している姿が見られたのもよかったな。曲なしモノローグは、相変わらずのちーさまって感じで、安心して聞けた。なんだかんだで主人公が好きでたまらないんだよな、この人。

全体的な感想としては、値段の割に、という意見が多いのも頷ける出来。ネオロマ系のキャラソンを想像して買うと痛い目に遭うのは間違いない。ただ、曲なしモノローグは三人とも秀逸なので、その点だけを見れば買いだとは思う。薄桜鬼のファンだったら買って損はしない、でも値段に見合っただけのモノが得られるかというと微妙、という感じ。これでジャケットが描き下ろしだったら、だいぶ評価は変わってくるんだけどねえ。そういうところで手を抜くのはどうかと思うよ。


| HOME | Next


Design by mi104c.
Copyright © 2009 Sinful Sanctuary, All rights reserved.
FC2ブログ